2007年9月28日金曜日

「なるだろう」から「する」へ

みんなで未来を予想するソーシャル予知サイト『ZiiTrend』 | 100SHIKI.COM: "「あの会社はどこに買収されるだろうか?」「次のiPodはいつ出るだろうか?」 こうした疑問にみんなで答えていくことができるのがZiiTrendだ。そうした意見はまとめられて「これは○%ぐらいの確率で実現されそうだ」という答えを教えてくれる。 またそれが実際に起こった後には自分の予想が当たったかどうかも教えてくれる。そして正しく予想できた人はコミュニティ内での地位が高くなり、別の予想をたてると�"

意見集約システムは全然めずらしくもないけど、未来予測なのがすごい。参加者がある程度以上大きければ、予測される事柄の種類によっては、もはや予測じゃなくて単なる事実になってしまう場合があるだろうからだ。主体的な意志の問題になるってゆうか。

しかし、「世間」なるものが可視化されて実体性を帯び、しかも全員がそれに基づいて行動するような人の認識と世の中ってどんなものになるのかな・・ううー、くらくらする。

元も子もなくしてしまう遺伝子

Suicidal Genes Discovered - World of Psychology: "The Oct. 1 issue of The American Journal of Psychiatry will release both a study and editorial suggesting that a set of suicidal gene markers have been discovered."

ほんとかな?自殺として「発現」するまでの道のりを考えると気が遠くなるけど、depressされやすさってことなら十分あり得る話だ(そうなると抑うつ尺度とかとどう違うのって話にもなるけど)。少なくとも、まことしやかに言われる景気との連関よりはずっと要因として考慮する価値があると思う(ホントだとしたらの話だけど)。

景気の悪化と自殺率の上昇は日本ではほぼ事実化しているけど、実は各国別に見ると景気と自殺率が連関している国は少ない。また日本も、県別にみると県単位の景気動向と自殺率は連関していない。だから実は日本に限っていっても景気動向と自殺率は全然関係ないのである。まさに統計の綾というやつで、日本全体の景気の曲線と自殺率の曲線がたまたま重なってしまっただけである。

もちろん動機の第1位は「経済的な理由」なので、その点でも景気と関係ありそうなのだが、そもそも景気が悪くなると自殺が増える、って一見もっともらしいようだけど、よくわかんないですよね。だって、テレビとかで「景気が冷え込んでる」って聞いて、それで直接「よし、死のう」なんて人いないですよね。日銀総裁くらい?

景気は遠因ではあるかもしれないけど、自殺を直接駆動するのは別の原因のはず。例えば借金とか。そして、だとしたら、改善しなければならないのは景気じゃなくて、借金が返せなくなったとき自殺しなきゃいけないシステムの方だ。

そして、差し迫った自殺の防止に有効なのは、直接の原因かもしれない「ローンの仕組み」でさえない。目の前にいる人間に手をさしのべることだ。話をきくことで、ほとんどの自殺は防げるのだという。

このように、どんな問題せよ、対策はそのことを引き起こしている直接の原因を考えそれをコントロールすること以外に「対策」にはなり得ないはずなのに、抽象化された名前や要因を口にだしてみることだけでなんとかしたことにしてしまう人々、それを聞いただけでなんとかなったことにしてしまう人々は常に一定の割合で存在する。てか、大多数だろう。

「風が吹けば桶屋が儲かる」の話をきけば、桶屋の儲けを風の操作でコントロールするのはバカげたことだと誰もが思うだろうに、自殺率を景気回復でコントロールしようというばかげた思考を成立させてしまう心の機微ってなんだろう?なんか名前のついたバイアスかな?「帰属錯誤」でカタがつくかな?

閑話休題。ところでさっきの記事ですが、あくまで噂としながらも「自殺因子テスター」も発売されるとある。うーん、永続的・固定的な自殺因子ってなんだろなぁ?

2007年9月19日水曜日

社会人基礎力 with PaPeRoアプリケーションチャレンジ

経済産業省による「社会人基礎力育成・評価事業」の支援を受けた「総合研究」(本学事業構想学部の事業計画学科とデザイン情報学科の学生が一緒になってプロジェクトを遂行する、3年生の必修科目)を担当することになった。

僕のチームはNECソフトウェア東北(TNES)さんと一緒に、NECグループとNEDOが開発したコミュニケーションロボットPaPeRoのビジネスアプリケーションをデザインする、というテーマで進める。折しもTNESさんは「PaPeRoアプリケーションチャレンジin東北」というコンペティションを企画されており、そちらにもエントリーして、もちろん賞取りを狙っていく。このコンペの面白いところは、ワークショップ形式で進められ、デザイナーや技術者、ビジネス関係者からのコンサルティングを受けながら、他のチームのアイデアもオープンな状態でデザインが展開されてゆくこと(もちろん最後には順位がつけられる)。ちょっとオープンソースっぽいことが起こるかな?賞が取れてもとれなくても、ここでこれから起きることは学生たちの(そして僕の)大きな糧になるはずだ。

一方、このテーマは経産省の「社会人基礎力育成・評価事業」の支援を受けており、こちらでは、プロジェクトフォーメイションとその中での個人の「社会人基礎力」の向上が評価され、これはこれでコンペティションにかけられる。要するに、プロジェクトそのものだけではなく、メタプロジェクトの遂行が求められる、ということだ。方法論もポリッシュしながらプロジェクトの質も高める、というのは、醒めながら熱くなるということで、なかなか大変だが、仕事を進めながら仕事の進め方も改良していき、またその両方が直接評価にかけられる機会はとても貴重なものだと思うので、がんばって進めましょう。

ところで、社会人基礎力って、なに?(笑)

2007年9月15日土曜日

ルネッサンス・ジェネレーション 2007

ルネッサンス・ジェネレーション(RENAISSANCE GENERATION: RG)の案内が届く。RGとは、金沢工業大学が主催し、タナカノリユキと下條信輔が監修と進行をつとめる認知科学、脳科学のシンポジウムで1997年から毎年開催されている。

今年のテーマは「情動」。一般には、情動というと、認知活動の中でも添え物的にとらえられがちだが、近年の脳科学は情動こそが行動や認知をドライブするエンジンであることを明らかにしてきた。つまりある行動を起こすか否か、ある考えをするか否かは情動プロセスが介在して決められているのである(快不快の根源的な機能はそのものに近づくか遠ざかるかのシグナルである)。だから、以下の惹句は全然大げさなものではない。情動が、人間と人間社会の理解の根幹に位置づけられるのは間違いない。事前予約が必要ですが無料ですので、是非ご参加を。

..:: RENAISSANCE GENERATION ::..: "情動とは、脳と身体を起動し感情経験を引き出すプロセス。 それは主に潜在的/無意識的であり、何よりも動物的な起源を持つものです。 情動こそは間違いなく、人間と人間社会の、近未来の根幹となることでしょう。"

2007年9月14日金曜日

勝負の世界で起きていること

My Life Between Silicon Valley and Japan - ボナンザVS勝負脳 (保木邦仁、渡辺明共著): "本書を読み終えて、現時点では渡辺明(23歳)という若き竜王だけが、「コンピュータと戦う」それも「一度限りではなく、コンピュータをも真剣に将棋を戦う相手と認識した上で、長期間、お互いに切磋琢磨しながら戦い続ける」という未来を、自分の人生におけるきわめて重要な問題として、本気で自分の問題として考え抜いている棋士なのだ、ということを痛感した。"

すごい。そうか、将棋って(囲碁って、チェスって)純粋に抽象の、情報の世界の勝負なんだな。それがゲームの実体かに見える将棋盤や駒は、コミュニケーションのための状態記録・表示装置にすぎないんだ。だから、渡辺明をドン・キホーテと見てはならない。将棋の世界ではコンピュータは勝負が成立する敵として立ち現れる(チューリングテスト的な意味ではなく、つまり、一方に実体としての人間を置きそれと似ているかどうかで判断して敵と見なせる、ということではなく)ということを事実としてそれを起点に考えなければならない。限定的ではあるけど、コンピュータがもはや「コンピュータ」ではなくなっている現実がすでに存在する、ということだ。ほかのジャンルではなくまず将棋の世界で、ごく一部の敏感な棋士の前にコンピュータが「コンピュータ」ではなく敵として現れたのは、将棋というゲームが純粋に情報の世界に成立するものだったからだろう(将棋が人間をコンピュータ化するその度合いによって強さが決まるゲームだったから)。つまり、コンピュータが「コンピュータ」のままであるとしたらそれはリアルな世界への現れ方つまりインタフェイスの問題なのであって、それが解消されれば(量的な問題なので多くは早晩解消される)、コンピュータが敵として現れるのと同じ事があらゆる分野において今後起きてくるはずだ。あ、いや、コンピュータと人間が敵対するってことじゃなくて、むしろコンピュータが「人間」として現れるってことだけど。

すこし前の記事だけど、人間とコンピュータあるいは機械との勝負については以下のような興味深い指摘がある。勝負が成立するか、負けが認められるか。チューリングテストの次の次元のテストになるような気がする。それに、「勝負」っておもしろい認知の分野なのにちゃんと研究されてないな。

「情報技術時代の身体」 (Motoe Lab, TU): "会の後の食事中,ロボット対人間のサッカーの話になった。 山中さんは,ロボットが勝つことよりも,人間が負けを「認める」ことの方が難しいだろうという。"